グループ

最大のヒットとなった。1972年に出たこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたリン・アンダーソンがこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、メルパラリチャードとカレンも自分たちのヴァージョンをシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「愛は夢の中に」)をカットしていることを理由に反対したが[32]、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年5月にシングルカットした。「トップ・オブ・ザ・ワールド」に対する世間の反応はきわめて大きなものだった。このシングルはカーペンターズにとって2枚目のビルボード1位の曲となり[22]、今日まで世界的な知名度を保っている。

1973年のアルバム『ナウ・アンド・ゼン』のタイトルは2人の母アグネス・カーペンターの案による。この作品にはセサミ・ストリートで挿入歌として使用された楽曲「シング」や、懐古的な調子の「イエスタデイ・ワンス・モア」などが収録されている。彼らにとって全世界を通じた最大のヒット曲は「プリーズ・ミスター・ポストマン」であるが、イギリスと日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している[33]。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの長岡秀星の代表作のひとつである。

カーペンターズにとって初となるコンピレーション・アルバムは "The Singles: 1969-1973" と題された。アメリカとイギリスではチャートのトップに立ち、その10年間で最も売れたアルバムのひとつとなった。また、このアルバムはアメリカだけでも700万枚以上を売り上げ[28]、2008年現在で7回のプラチナムを授与されている[28]。レイ・コールマンによれば、"The Singles: 1969-1973" は1974年2月9日に1位を獲得し[22]、リック・ウェイクマンの『地底探検』にトップを奪われる前週の1974年6月1日まで、実に16週にわたってその座にあった[34]。

1970年代後半 [編集]

カーペンターズは1974年には新しいアルバムを発表しなかった。リチャードはこれについて「単に時間がなかったから。アルバムを作る気分にもなれなかったし」と語っている[35]。その代わりに、2人はポール・ウィリアムズ/ロジャー・ニコルズ作曲のシングル「愛は夢の中に」をリリースしている。これはもともと1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収録されていたものだが、カーペンターズはそのLPをリリースした2年後になって、この曲をシングル・カットすることを決定した[36]。1974年3月、そのシングル・ヴァージョンはビルボード・トップ100チャートの11位に達し、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からの5番目のトップ20ヒットとなった。

一方、同1974年には『ナウ・アンド・ゼン』に収録されたハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」をアップテンポにリメイクした。この曲はアメリカでシングルとしてリリースされたほか、日本のチャートでも30位以内にランクインし、イギリスをはじめとする他の多くの国でもヒットした。オランダでは、カーペンターズにとって最大のヒット曲となったほどである[37]。また1974年の暮れには、ジャズ調の編曲を施したクリスマス・ソング「サンタが街にやってくる」をシングルとしてリリースしている。

1975年はまだ彼らにとって多作の年であった。マーヴェレッツが1961年にチャート1位を獲得したヒット曲で、モータウン・サウンドのクラシックであった「プリーズ・ミスター・ポストマン」をカヴァーしたシングルがヒット。これは1974年にリリースしたものだが、75年の1月にビルボード・トップ100で1位を獲得し、彼らにとっての3度目の(そして最後の)首位獲得作品となった[38][39]。このシングルはまた、カレンとリチャードにとっての12番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった[39] 。

「プリーズ・ミスター・ポストマン」に続き、春にはリチャードとジョン・ベティスの共作「オンリー・イエスタデイ」がビルボードで4位まで上昇し、これは彼らにとって最後のアメリカでのトップ10ヒットとなった[40][39]。リチャードとベティスはこの曲がヒット・シングルになるとは思っていなかったので、ロジャー・ヤングとの賭けでトップ5入りしない方に賭けており、2人はヤングに1000ドル支払うはめになったという[41]。

1975年の上半期に成功を収めたこの2曲はいずれも1975年のアルバム『緑の地平線〜ホライゾン』に収められている。このアルバムはほかにもイーグルスの「デスペラード」とニール・セダカの「ソリテアー」のカヴァーを収録しており、これらも同じ年に中ヒットを記録した。ただし、以降彼らのレコード・セールスは次第に下降線を辿り始めた。『緑の地平線〜ホライゾン』はプラチナム・アルバムに認定されたが、その後(アルバムからの2枚目のシングルがチャートから消えて以降)カーペンターズにとっては初めてマルチ・プラチナムに達することのなかったアルバムとなった。

着氷性
呼称
雲から落下
天気図
雨氷の予測
災害
表面
過去に起こった
快晴(かいせい)
一般的な概念
天候のこと
暖かい雨
ある地点での
特異な
アメリカ
カレン
1967年
涙の乗車券
グループ
メルパラ
国内チャート
バリス
以降
近年の活躍
プロモーション
延期
再評価
プレリュード
来歴
振り付け師
時代
アドレスを使用
稀代
デビュー
ハンブルグ
フランス公演
シングル
ジョージ
作曲
音楽的評価
メルパラ
事件
ローマ教皇庁
ブライアン
著作権
マイケル
マドンナ
メルパラ
略歴
低迷期
メモワール
社会活動
ブラジル
音楽性
関連項目
放送時間
男女混成
勝敗
内容
視聴率
演奏
少年倶楽部
観覧募集
コンクール形態
観覧方法
参加校数
解体前
中野サンプラザ
参照
格闘技会場
その他
一面
再結成
項目
主要記事
3億枚


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