涙の乗車券

チャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンはバート・バカラック/ハル・デヴィッド作曲の「遙かなる影」でついに成功を手にする。このシングルは1970年にリリースされて初登場56位となり[23]、1970年7月22日にはチャート1位に昇りつめ、メルパラ個人情報保護4週にわたって首位の座を守った[12]。また1970年ビルボード誌年間ランキングでは第5位となっている。ベストセラーとなったアルバム『遙かなる影』の収録曲からはこの曲と「愛のプレリュード」がRIAAによってゴールドディスクに認定され、同アルバムは『ローリング・ストーン』誌による『偉大なアルバム500選』 ("500 Greatest Albums of All Time") の175位にも選ばれている[24]。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。

「遙かなる影」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」(ポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作)がビルボード・ホット100で第2位となり、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている[12][22]。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット・シングルとなった。

2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「メリー・クリスマス・ダーリン」をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで上位にランクインして、翌年以降も同チャートにたびたび登場した。

一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「ふたりの誓い」は、元はサイ・ハワード監督による1970年の映画『ふたりの誓い』の結婚シーンのためにレコーディングされたものである[25]。映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは、その後間もない1970年秋にこの曲を録音し、カーペンターズにとって3枚目のゴールド・シングルとなった[26]。

続いて送り出された「雨の日と月曜日は」はビルボード・ホット100の第2位を記録し[22]、ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルスにとって2曲目のヒット・シングルとなった。カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは、「雨の日と月曜日は」をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している。さらにこの曲はカーペンターズ第4のゴールド・シングルとなったが、1位獲得を阻んだのはキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」 ("It's Too Late") だった[27]。

レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「スーパースター」はカーペンターズの次の代表曲となり、ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている。この曲もビルボード・ホット100で第2位となった[22]。1971年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム『カーペンターズ』(日本盤タイトルは『ふたりの誓い』→『スーパースター』→『カーペンターズ』と改題された)がリリースされた。この作品は彼らにとって最も売れたアルバムの1つであり、RIAAのプラチナムを4度にわたって獲得(売上400万枚以上)している[28]。この作品でカーペンターズはグラミー賞 (Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal) を受賞し、3部門でノミネートされた[29]。

1972年にリチャードはエレキギターによるソロを導入したバラードを考案した。後にこうした形態の曲をハードロックやヘヴィメタルのバンドが継承して Power ballad と呼ばれる1ジャンルにまでなったことから、リチャードがこのジャンルの先駆者とみなされることもある。この曲「愛にさよならを」はリチャードとベティスによって作曲されたもので、カーペンターズが1972年に出した2枚目のシングルとして最高7位を記録した[22]。「愛にさよならを」はビング・クロスビー主演の映画 "Rhythm on the River" に着想を得たものである[30]。この映画は1940年に制作され、作中にはベイジル・ラスボーンが演じる作曲家が登場する。この作曲家は歴史上最も美しい歌 "Goodbye to Love" の作者として有名という設定である。リチャードによれば、この曲は映画の中に言及があるだけで演奏されてはいなかったが、同名の曲を自分で書こうと思いつき、1972年にベティスと共作するまでそのアイディアを温めていたという[30][12]。2人はリードギタリストとしてトニー・ペルーソを招き、A&Mのスタッフもペルーソの大胆なソロに満足した。これを機にペルーソは1983年までカーペンターズの伴奏者を務めることとなった。しかし、ファンの中にはカーペンターズのレコードにエレキギターのソロが入ることに不満を抱く者も少なくなく、嫌がらせの手紙を送りつける者さえいたという[31][12]。

着氷性
呼称
雲から落下
天気図
雨氷の予測
災害
表面
過去に起こった
快晴(かいせい)
一般的な概念
天候のこと
暖かい雨
ある地点での
特異な
アメリカ
カレン
1967年
涙の乗車券
グループ
メルパラ
国内チャート
バリス
以降
近年の活躍
プロモーション
延期
再評価
プレリュード
来歴
振り付け師
時代
アドレスを使用
稀代
デビュー
ハンブルグ
フランス公演
シングル
ジョージ
作曲
音楽的評価
メルパラ
事件
ローマ教皇庁
ブライアン
著作権
マイケル
マドンナ
メルパラ
略歴
低迷期
メモワール
社会活動
ブラジル
音楽性
関連項目
放送時間
男女混成
勝敗
内容
視聴率
演奏
少年倶楽部
観覧募集
コンクール形態
観覧方法
参加校数
解体前
中野サンプラザ
参照
格闘技会場
その他
一面
再結成
項目
主要記事
3億枚


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