政治と政府

ノースカロライナ植民地(ノースカロライナしょくみんち、英: Province of North Carolina)は、メルパラ1729年から1776年まで、北アメリカ現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州の領域に存在したイギリスの植民地である。当初は領主8人によって勅許されたカロライナ植民地の一部だった。

イングランド王チャールズ2世は、バージニア植民地より南でスペイン領フロリダより北の土地に1663年のカロライナ勅許を認めた。この植民地の北半分は南半分と著しく異なっていたために、また2つの地域の間の輸送や情報伝達が難しかったために、1691年から北半分に別の副知事が指名されて統治するようになった。この植民地の北と南への分割は1712年に完成し、北半分は「ノースカロライナ」と称したが、同じ植民地領主が両植民地を支配していることは変わりなかった。1719年に南半分のサウスカロライナで領主に対する反乱が起こり、1720年にサウスカロライナには総督を指名するようになったが、植民地領主はノースカロライナの知事を指名し続けた。

1729年、イギリス政府が10年間近く、8人の植民地領主のうち7人からその土地を買い上げる試みが行われ、両カロライナは王室領植民地になった。最後の8分の1の取り分は(グランビル地区と呼ばれるノースカロライナの一部)、アメリカ独立宣言の1776年までカートレット家の者が保持していた。

植民地の地図で2つの重要なものが作られた。一つは1733年のエドワード・モズリーによるものであり、もう一つは1770年のジョン・コレットによるものだった。ノースカロライナ植民地の開拓者の多くは貧しいタバコ農家であり、この単一作物で生計を立てていた。サウスカロライナでは、農家のプランテーションがかなり大規模なものであり、開拓者達は米を栽培しそれが利益を生む作物になった。またサウスカロライナ人はアイを育て、これが衣類や糸を青く染める貴重な染料として使われた。

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