事件

フィリピン公演は、日本公演の後に行われた。日程は1966年7月3日(香港経由でマニラに渡航)、4日にアラネタ・コロシアム[103]でコンサート、5日に出立となっている。コンサートは2回行われ、メルパラ合計10万人を動員した[104]。コンサートが開かれた4日、そのコンサートの前にイメルダ・マルコスによる歓迎パーティーが大統領官邸でとり行われることになったが、コンサートの前の時間が滅多に無い休日だった(ポールの発言[105])ビートルズ側はこの出席を辞退した(ニール・アスピノールの発言[105]によれば、プライアン・エプスタインの方で事前に出席辞退の連絡はしていた)。それにもかかわらずフィリピンのテレビは官邸からの生中継で「もうすぐビートルズが到着する」と放送し、フィリピンのプロモーターは出席を指示し続けた[105]が、結局ビートルズ側は招待に応じなかった。

5日になってこの出来事は新聞やテレビで報道され、事件を知ったフィリピン国民はビートルズに対して怒りを向けた。帰国の途に付こうとしていたビートルズは空港等で多数の市民に取り囲まれたばかりでなく、警官や兵士までがビートルズに敵意を向けるという事態に発展する[106]。ロードマネージャーが小突かれたり足蹴にされたり、飛行機の離陸許可がなかなか下ろしてもらえず、結局コンサートの収入をすべて当局に渡して[106]ようやく許可が下り、フィリピンを離れることができた。「ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版・P217-221及びビデオ版)」ではメンバー及び関係者がこの件についてコメントしており、スタッフのマル・エヴァンスが死を覚悟する発言を口にした事、この一件によってエプスタインが体調を損ねた事などが語られた。そして二度とフィリピンには行きたくないと断じ、マルコス夫妻が後年失脚した事に対して肯定的な見解を述べている。また、ニール・アスピノールは同頁で、この一件がビートルズからツアー催行の意欲を奪った原因のひとつだったと述べている。

ジョンのキリスト発言

1966年3月、コラムニストのモーリン・グリーブによるジョンのインタビュー記事が「ロンドン・イブニング・スタンダード(Evening Standard)」誌に掲載された。この記事の一部がアメリカ公演旅行間際に、アメリカのティーン雑誌「デイトブック(Datebook)」に転載された。元の記事は紙面にして2頁という量[107]だったが、デイトブックはその中の1行である「ビートルズはキリストより有名だ(詳細は"More popular than Jesus"を参照)」という発言を抽出して掲載した。これが「神を冒涜した」とアメリカで解釈され、ビートルズのレコード、プロマイドやポスターといったグッズなどが組織的に破棄/焼却されるという事態に発展、特にアメリカ南部で大きな騒動となり、殺害予告もなされるに至った[107]。

この事態に対し、ブライアン・エプスタインは公演旅行前に声明を発し、その解釈が誤解である事、ジョン・レノンは神や宗教に対して真摯な態度の人間である事、しかし現在の若者はビートルズの方が影響力がある、と言いたかった旨を述べた。またアメリカ各地のプロモーターに対してコンサートをキャンセルしても構わないと告げたが、キャンセルを申し出たプロモーターはいなかった[107]。このためアメリカ公演旅行は予定通り行われ、公演に先立ってジョン自身の釈明会見も行われたが、騒動は沈静化せず、バイブル・ベルト[107]に着いた頃には乗っているバスの窓が群集に叩かれるなど、実際に危険な事態が生じた。

先のフィリピン事件からのこうした危険な状態の連続、一方、あまりのファンの熱狂ぶりにコンサートでの演奏がまともにできなくなっていた事(#コンサート・ツアーの停止とレコーディングアーティストへの脱皮を参照の事)、過酷なスケジュールとホテルでの缶詰生活といった事から、メンバー全員が公演旅行を続ける事に疑問を感じる様になった[108]。ビートルズはこのアメリカ公演以後、活動内容を転換してレコード制作を中心に活動するようになる。また各メンバー、とりわけ騒動の発端となった発言をしたジョンが、ビートルズそのものの存在に対する意識を変えていく。自分の意志や信条に忠実な発言ができないアイドルとしての立場に強いフラストレーションを感じるようになり、もう自分達はトップ・オブ・ザ・ポップスで飛び跳ねてはいられない、と言った発言をするようになった[109]。

着氷性
呼称
雲から落下
天気図
雨氷の予測
災害
表面
過去に起こった
快晴(かいせい)
一般的な概念
天候のこと
暖かい雨
ある地点での
特異な
アメリカ
カレン
1967年
涙の乗車券
グループ
メルパラ
国内チャート
バリス
以降
近年の活躍
プロモーション
延期
再評価
プレリュード
来歴
振り付け師
時代
アドレスを使用
稀代
デビュー
ハンブルグ
フランス公演
シングル
ジョージ
作曲
音楽的評価
メルパラ
事件
ローマ教皇庁
ブライアン
著作権
マイケル
マドンナ
メルパラ
略歴
低迷期
メモワール
社会活動
ブラジル
音楽性
関連項目
放送時間
男女混成
勝敗
内容
視聴率
演奏
少年倶楽部
観覧募集
コンクール形態
観覧方法
参加校数
解体前
中野サンプラザ
参照
格闘技会場
その他
一面
再結成
項目
主要記事
3億枚


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