延期

1970年代の中ごろには、度重なるツアーや長期に及ぶレコーディング・セッションが2人を蝕みはじめており、メルパラ2人の十数年にわたる活動の後半は仕事の上でも個人生活の上でも問題を抱えたものとなっていた。カレンは強迫観念的にダイエットをするようになり、やがて神経性無食欲症になって症状も進行していった。この拒食症が最初に現われたのは、ラスヴェガスでのショーの途中でカレンが倒れた1975年のことである。カレンは消耗しきっており、フィリピンとイギリスおよび日本へのコンサート・ツアーはキャンセルするよう命じられた。リチャードはその時期の6、7日の過密スケジュールのことを後悔しており、現在明らかになったことを当時すでに知っていたら絶対にそのような日程には同意しなかっただろうと語っている。カレンはシングル「オンリー・イエスタデイ」のミュージック・ビデオを撮影したころには(まだ病的ではなかったが)顕著に痩せて見えるようになった。一方リチャードもメタカロン(催眠剤)の中毒に陥っており、1970年代後半には演奏に悪影響を及ぼしはじめ、これらをきっかけとして1978年に2人はライヴ・コンサートへの出演を辞めることとなった。

カーペンターズとして行った日本公演は、1972年、1974年、1976年の3回である。1974年の日本公演では、武道館ではひばり児童合唱団と、京都では地元の合唱団(リチャードが「Kyoto Children's choir」と紹介していた。[61])と「シング」を日本語で歌った。

テレビ特番 [編集]

カーペンターズ主演のテレビ特番も非常に好評で、彼らは1970年代を通じてお茶の間にその姿を見せていた。彼らは計5本のテレビ特番をもち、いずれも1976年から1980年にかけて放映された。1976年12月8日放送の "The Carpenters' Very First TV Special" はヒット番組となり、アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングでも第6位となった[12]。彼らのテレビ特番には大抵「shtick」(演出上の見せ場として、お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面)があり、リチャードはこれをたいへん嫌っていたが、カレンは気に入っていたようで、その個性をカメラの前で花開かせることとなった。

カーペンターズ最後のテレビ特番 "Music" は1980年5月に放送された。この番組には「shtick」もなく、最初から最後まで音楽だけで構成されていた[12]。テレビ司会者のジョン・デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ・フィッツジェラルドらがゲスト出演し、さまざまな歌を披露した。この番組で演奏された曲の多くは2004年にアルバム『レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ』収録曲としてCDでリリースされた。カーペンターズのオフィシャルサイトで、このアルバムに収められた15曲のうち5曲が "Music, Music, Music!" から取られたものであると明記されている。しかし、ABCは純粋に音楽だけで番組を作るというカーペンターズの決定に不満を覚えていた。ドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』 ("Close to You: Remembering the Carpenters") で、リチャードはABCのスタッフがこぼした「一体あいつらはこれを何だと思っているんだ? PBSの番組か?」という言葉を引用している(PBSは教養番組を主とするアメリカの公共放送局で、日本ではNHK教育にあたる)。皮肉にも、このドキュメンタリーは翌1998年にMPIホーム・ビデオ社からDVDとして発売される前にPBSで放映された。

評価と影響 [編集]

カーペンターズの絶大な人気は音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかしレコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「遙かなる影」で最優秀ボーカル・グループ賞[62]、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞[29])。また、1973年には、投票によって第1回アメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれた[63]。

多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」とでもいったような印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび自分はミルクなど好きではないしワインも飲む、マリファナ合法化のために投票さえしたとまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている[64]。

レイ・コールマンの著書 "The Carpenters: The Untold Story" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している[65]。

着氷性
呼称
雲から落下
天気図
雨氷の予測
災害
表面
過去に起こった
快晴(かいせい)
一般的な概念
天候のこと
暖かい雨
ある地点での
特異な
アメリカ
カレン
1967年
涙の乗車券
グループ
メルパラ
国内チャート
バリス
以降
近年の活躍
プロモーション
延期
再評価
プレリュード
来歴
振り付け師
時代
アドレスを使用
稀代
デビュー
ハンブルグ
フランス公演
シングル
ジョージ
作曲
音楽的評価
メルパラ
事件
ローマ教皇庁
ブライアン
著作権
マイケル
マドンナ
メルパラ
略歴
低迷期
メモワール
社会活動
ブラジル
音楽性
関連項目
放送時間
男女混成
勝敗
内容
視聴率
演奏
少年倶楽部
観覧募集
コンクール形態
観覧方法
参加校数
解体前
中野サンプラザ
参照
格闘技会場
その他
一面
再結成
項目
主要記事
3億枚


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